戦後70周年記念 後半
I will be back with another English post soon, until then stay trued and happy wheels.
昭和7年~第二次世界大戦が終わる昭和20年まで、
統制経済が自転車業界に大きなインパクトを与えてしまったことを戦後70周年(前半)に取り上げました。
戦後、軍産業から平和産業に転換。
連合国軍最高司令官総司令部によって航空機の生産が禁止されました。
戦闘機を作っていた三菱重工業や中島飛行機の技術者は自転車やスクーターや自動車などの開発・製造に力を入れました。
三菱重工(零戦A6M3 零戦の製造会社)はあの有名な十字号とシルバーピジョンを開発しました。
Courtesy of http://www.militaryfactory.com/
中島飛行機(有名な Ki-44 鍾馗の製造者)は解体され、富士重工(現在スバル生産社)に変わりました。
その富士重工はラビット号自転車やラビットスクーターを開発しました。
C
ourtesy of http://www.militaryfactory.com/
上記の転換工場の中、自転車製造を行なったのは下記の14社です。
三菱重工津機器
萱場産業岐阜工場
日本金属産業
中西金属
半田金属
不二越鋼材
富士産業太田工場
高砂鉄工
天辻工業
片倉工業
西日本工業
中山太陽堂
大同製鋼
大和紡績
ここで重要なのは、自転車工業に沢山の会社が入ったこと。
工場そのものが転換されたのみならず、それまでに軍用生産していたエンジニアも作業者達も自転車生産中心に変わりました。
これは戦前、戦時中自転車製造会社、宮田製作、 岡本自転車工業などに大きなプレッシャーを掛けたでしょう。
資本主義のいいところは、競争があればあるほど優れた製品が生み出されます。
軍需工場から自転車工場に転換した製造会社は、その技術者と職人達で、高い需要と競争の中、実用車の黄金時代を築きました。
この資料は昭和21年1月29日に(終戦から5か月)発行された資料です。
「図解本位 自転車組立て修繕・選び方」
大日本機械工業の佐々木 健太郎 取締役社長
下記の写真をクリックすると拡大されます。
「吾々が日本国民の為に即ち又世界人類の福祉為に今すぐ吾々の工場を通じてわずかでもお手伝いの出来ると捜すとすればこの自転車を第一に取り上げるべきと確信する。」や「吾々早急に自転車を立派な日本の工業として再興せねばならない。。。」
戦後、自転車は日本経済成長に大きく貢献しました。
日本は自転車製造に力を入れ、旧英国植民地へ輸出しました。
昭和34年に英国を抜いて世界最大自転車生産国になりました。
このブログを通じて、当時の自転車の素晴らしさが、国内外のより多くの方々に分かっていただけるよう、頑張ります。
現在世界中に、日本製のオートバイ、自動車、家電製品など品質が良いことが広く知られています。
終戦後から、長い道のりだったでしょう。
終戦後、日本工業の再出発は「自転車から」と言っても過言ではありません。
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