長寿自転車商会 (第二)
I'll be back with another English post soon until then stay trued and happy wheels.
長寿自転車商会 (第一)では、
店主の谷田部氏の自転車業界入りは1948年で、19歳から1955年26歳までの7年間、自転車部品の問屋さん(卸会社)で働いたと伺いました。
前回のお話で、1955年、26歳の時に自転車部品の問屋さん(卸会社)から独立して自分の自転車部品の卸会社を始めたのですね。
はい、そうです。
会社の名前は?
「長寿商會」
どうして「長寿」ですか。
1955年に、日本そば店「長寿」を営んでいた妻の実家で店を開きました。
この写真では、左側の看板の上部に「自転車・リヤカー部分品卸」と小さく書かれており、その下には大きな文字で「長寿商會」と書かれています。1958年にそば店は閉店し、自転車部品の卸に修理も行うようになり、後に自転車の販売も始めました。
写真の大きな看板には「長寿自轉車店 自轉車修理・販売」と書かれています。
ということは最初に自転車部品の問屋(卸会社)を立ち上げてその後自転車修理屋ですか。
そうです。その後自転車、原付、オートバイ、軽自動車など修理と販売。
昭和35年(1960年)に31歳で第2種技能証 (38101号)取得
昭和36年(1961年)に32歳で第1種技能証 (953号)取得
昭和40年(1965年)に36歳で問屋(卸)の仕事をやめ、自動車整備技能二輪整備士 (6061号)取得
自転車のみならず原付・オートバイ・自動車も修理、販売をしていたということですね。
結構、幅が広いですね。
そうですね。
今はもうないですが、3輪軽自動車も。
これは店でよく見たら4台もあります。
この写真は店の前で、スクーター数台と私です。
当時の自転車屋さんは車輪がついていれば、つまり自転車、原付、オートバイ、3輪軽自動車、自動車など対応する店が少なくはありませんでした。
取り扱った主なブランドは?
ミドリ、水谷輪業、ナショナル、ブリッジストン、ノザワ。
昭和40年(1965年)頃までは、自転車はメーカーからキットの木箱詰めされた状態で店に出荷され、ホイールの組み付けも含めて一から完成に組み立てていました。
昭和45年(1970年)頃から、30%組み立てられた状態で出荷。 現在、自転車は基本的に中国からほぼ完成車の状態で輸入されている。
自転車が最も売られた時期はいつ?
昭和50年~平成20年(1975年 - 2000年)毎年に約300~500台が売れました。
つづく
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コメント
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初めましてブログ読まさせて頂いております、松田と申します。
横山の自転車についてなにか情報があれば
教えて頂けたらと思いメッセージさせて頂きました。
投稿: 松田侑樹 | 2024年10月25日 (金) 16時13分
ご連絡ありがとうございました。
調べた結果をメールでご連絡させていただきます。
宜しくお願い致します。
投稿: 松田さんへ | 2024年10月25日 (金) 19時03分