長寿自転車商会 (第三)
I'll be back with another English post soon until then stay trued and happy wheels.
長寿自転車商会 (第二)では、
店主の谷田部氏が自転車部品問屋に7年間勤めた後、1955年に26歳で独立し自転車部品(卸)を創立しました。 1965年、36歳までには、自転車整備士1級と自動車・オートバイ整備士の免許を取得し、自転車、原付、オートバイ、軽自動車の販売と修理を行っていました。
今回は取材した内容を編集してまとめました。
約70年の長いキャリアを振り返って、何が変わりましたか?
谷田部氏
『多くのことが変わりましたよ。日本も自転車業界も例外ではなく時代流れで大きく変わりました。』
1. 自転車の用途
『まず、前述したように、自転車ビジネスに携わるようになったのは1948年のことで、卸売業者で働いていました。
第二次世界大戦が終わって3年後のことです。
当時の日本はまだアメリカの占領下にあり、多くのものが配給制でした。
自転車は基本的に移動用と仕事用だったので、主に実用自転車と運搬用自転車が主流でした。』
『働く自転車の荷台が大きかった。
荷台に大きすぎる荷物を運ぶ用に自転車のシートピラーに連結器が取り付けられ、リアカーを接続しました。』
1950年から1958年まで、自転車を登録して鑑札(ナンバープレート)が取り付けられた。
日本は急速な経済成長とともに繁栄し、繁栄とともにレジャーやレクリエーションへの傾向が生まれた。
実用自転車の衰退は1960年(昭和35年)頃から始まり、1963年(昭和38年)までに他の車種が実用自転車を上回った。
(グラフをクリックすると拡大します)
日本は自動車社会へと変貌しつつあり、多くの家庭が自家用車を所有するようになり、自転車の用途も拡大した。
一家に1台以上の自転車があり、主婦は食料品の買い物やその他の用事のために女性用自転車に乗り、学生は学校に自転車で通学し、子供たちも自分の自転車を持つようになった。
2. 道路整備
昔は道路状況や排水が良くなかった。
現代では舗装道路が当たり前だが、昔はそうではなかった。
そのため、自転車は毎日の使用中に、道路の凹凸、水たまり、泥、砂利、砂などで酷使されていた。
当時はペットボトルはなく、割れた瓶のガラス破片、釘、その他の金属破片でパンクが多かった。
3. 耐久性
先ほども述べたように、自転車は道路整備の悪さや働くためで酷使されていた。
雨の日に乗ることも多く、屋外に駐輪し風雨にさらされていた。
そのため、自転車の耐久性が高い作りで、メンテを行えば一生使えるものだった。
しかし、すべてスチール製で、機械加工も今日の基準ほど精密ではなかったため、時間が経つにつれて雨がベアリング(ヘッド部、ボトムブラケット、車輪ハブ)に染み込んでしまう。
冬場には自転車を全面的にオーバーホールするのが一般的であった。
これは自転車店にとってもう一つの重要な収入源だった。
4. 手ごろな価格
自転車業界に参入した1948 年当時、家族用自転車は個人の交通手段として主流だった。
自転車は 2 か月分の給料に相当する値段がしたため、言うまでもなく貴重なものだった。
子供用自転車は珍しく、裕福な家庭だけが所有していた。
子供は足が短くて実用車のペダルに届かないため、「三角乗り」で大人用自転車に乗れるようになった。
(下の写真で、子供の左足がフレームに通されている様子に注目してください。)
今は安価な輸入自転車(ママチャリ)を購入することも可能だ。
5. 部品と工賃
かつて、部品は高価で工賃は安かった。
修理や部品交換は自転車店の収入の重要な部分を占めていた。
今ではその逆になり、部品は安いが工賃は高い。
工賃が高いため、主要な部品の交換を行うよりも、ローエンド新車のママチャリを購入した方が安い場合が少なくない。
谷田部氏
『私は幸運にも、最初は卸売察で働き、その後、自転車部品卸売店を立ち上げて自転車業界に参入しました。
この経験により、自転車と自転車ビジネスについて貴重な洞察を得ることができました。
自転車部品卸売業にとどまらず、自転車店を経営することを選んだことはよかった。
振り返ってみると、自転車整備士になった時期が良かったと思います。時代は変わり、ほとんどのことと同様に、個人商店は大規模なチェーン店に飲み込まれました。
60歳になって退職すると、何もすることがなくなる人が少なくはない。
私は35年以上前に60歳になりましたが、今でも毎日働いています。仕事は良いことだ。
手、頭、心に良いものだ。なぜなら、社会に必要なサービスを毎日提供するためにそれらを使わなければならないから。
修理によって得られる達成感と満足感、そして愛する自転車が走り続けてくれることに対する人々の感謝は計り知れません。』
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