日本語の記事 (Postings in Japanese)

2016年5月15日 (日)

カスタム山口べニー

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昭和自転車の愛好家のUさんが、愛車のカスタム山口ベニー(丸紅山口ベニー?)自転車の写真を送ってく下さいました。

Uさんによると、
「実用車を好きになった理由は、昔の頑丈な作り込みと今の時代に無い癒される形に惚れてしまいました。
実用車に乗っている時は、時間を忘れますね、日頃のストレスもなぜか抜けて行く様な感じがします。」
とのことです。
.
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ピカピカに輝かれています!!
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カスタムで少し見てみましょう。
まず、手で手動するウインカーです。.
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金文字で書かれているフレームカンバン。
「長寿商会」、字が上手いですね。
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革製筒型の工具箱
この筒型の工具箱はハンモックサドルのループに
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荷台に箱を付けるとまるで50年以上前にタイムスリップした感じですね。Dsc_0285
Dsc_0286

Uさん、写真を送って下さいましてありがとうございました。

愛車を他の昭和自転車愛好家に見てもらいませんか。
よろしければあなたの愛車写真をshowajitensha@hotmail.co.jpへお送り下さい。

2015年7月11日 (土)

機関銃の印 日本スヰフト工業株式会社

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「日本スヰフト工業株式会社」は元々1869年(明治1年)に英国の自転車歴史が豊富なコベントリー市で設立されたSwift Cycle Companyにルーツがあります。
スヰフトより「機関銃印自転車」N.S.C(Nippon Swift Company)の方が良く知られているかもしれません。
大正12年の「
機関銃印自転車」の宣伝。
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この「機関銃」の由来は、
推測ですが、英国Swift Bicycle Companyの会長は Charles Thomas Brock Sangster (サングスター氏)という方でした。
サングスター氏は 発明したヴィッカーズ機関銃用の三脚に対して1916年 に特許を認可されました。 
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純正なスヰフト「機関銃の印」の風切です。.154P1280376

純正なスヰフト「機関銃の印」の責任保証メダルです。P1280394P1280395_2

婦人用自転車にも機関銃の風切が付いていたようです。
(下記の宣伝の自転車の前泥除けの先端に注目)
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昨年、HSさんという方からメールを頂きました。
お祖父さんの家はまるでタイムカプセルということ。
2階に眠っていた古いものが多くて、その中に自転車もありました。.

溜まった埃が年月を語っています。A
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埃を拭き去ったら純正なスヰフト高級モデル自転車。
(シートチューブにバッヂに注目)
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ヘッドチューブ. 
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逆読みで古さを語っています。
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Photo

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チェーンケース
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フレームカバー
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泥除けステーのバッジまでロゴ付き。
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2015年6月13日 (土)

ペダロコ

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ペダロコって何でしょうか?

「ペダルロコ」というのは光自転車製造会社のとてもユニークな自転車です。
その名前の由来は2つの言葉の組み合わせです。
「英語の「Pedal」(ペダル)+「Loco」(機関車)でPedalocoになります。

ペダル回りを良く見て下さい。
どこか少し変わったことありませんか。
クランクアームにまるで機関車のような構造になっています。
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最近のことですが、Yさんという方から問い合わせを頂きました。

「現在レトロ実用自転車を数台持っております。
その中に大日本機械工業 光自転車 テコ式 と言う運搬自転車のフレームを持っております。 いつかネットで何気なくこのテコ式自転車の資料のような物を見た事を記憶してます が、それ以来見る事が出来ません。
ペダルトスィングアームに汽車のようなシャフトがついていたような?  色んな方面で聞いてますがやはりこちらのブログで訪ねてみては、と言う方が大半ですのでお聞きしたいのです。
この自転車の事が解るサイトか資料などお解りの事あれば教えて下さい。」

問い合わせを読んで思い出しました。
何年前に確かに見たことがありました。
探してみたら何年か前に写真を投稿したことがあります。

1953年(昭和28年)自転車輸出カタログに載っていました。

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また、大分前に昭和自転車愛好家から資料をいただきました。
ご本人は現在ドイツの博物館で修復家として働いています。
「自転車の化学」特集のようです。 .

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出ました!「ペダロコ」
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ユニークなテコ式デザイン。.
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このペダロコに実際に乗ってみて、テコ式がどの程度まで有効であるか試乗してみたいですね。.

2013年5月19日 (日)

名前を付けるなら、まず良品が前提条件

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昭和20年代後半~30年代前半の特徴の一つは各パーツに マーク入り社名ロゴ が付き小さな泥除けステー固定ネジにまでちゃんとした刻印があります。

一つのパーツにマーク入りが1個以上の場合も少なくありません。
一つの例として、革製サドルです。
当時の良いサドルにはマーク入りが4箇所あります。
両方の側面に1箇所、サドルの後ろバッヂに1箇所と上面に1箇所。
では見てみましょう。
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1つ目と2つ目は側面の刻印 (両側)
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3つ目はサドルの後ろのバッヂにあります。.
注意: バッチに日本工業規格(JIS) のマークはないので、昭和32年以前作られたことが分かります。
工具入れを付けるように金属枠のスロットやメッキ縄編みバネが高級感を示しています。
やはり、 現在の作りと違う(前半) ←ビデオ
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4つ目はサドルの上面。
.P1210516P1210511

現代の自転車より重い?
それはそうですが、乗り心地よく作らています。
特別な服(クッション付パンツなど)不要。

品質が高くて、優れた座り心地、見た目も美しく、おまけに長持ちします。
必要以上でできているからこそ、昭和自転車が好きです。
スピードより乗り心地を求める方にお勧めです。

やっぱり現代の作りと違う(後半) ←ビデオ

2013年3月 1日 (金)

自転車鑑札

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以前、昭和20年代後半30年代前半「自転車」が非常に貴重で、現代の自動車と同じような地位だったことを何回か取り上げました。
庶民の手が届く唯一の交通手段でしたが、当時2ヶ月分もの給料が掛かりました。
手が届かない人は時間単位で借りていました。
リアカーが付いていた重運搬車・軽運搬車は、町の個人店のトラックの役割でした。
現代の高級車のように自転車は皆 風切が付いていました。
そして、あまり知られていないことですが、当時自転車は課税対象でした。
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戦前にも自転車税がありましたが、戦後に復活し、昭和25年~33年まで自転車税(一台200円)がありました。これは市町村で管理されました。
登録地域によって鑑札(プレート)のデザインが異なりました。
主にリア泥除けに付けられましたが、ハンドルに付けるものもありました。
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この鑑札には、登録番号(三一五)と地方名(北條町)が刻印されていました。
まるで現代の自動車やオートバイのようです。
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ハンドルに付けられた珍しい鑑札を見てみましょう。
このデザインは防犯防止も含まれています。
「1294」の数字に注目して下さい。
数字の中央部分にプレートのようなものがあります。
これをスライドして取り外せるようになっています。
Jitenshaquest_1
写真は自転車クエストのご提供
自転車クエスト

プレートをスライドして取り外すと赤い空間になります。
Jitenshaquest_2
写真は自転車クエストのご提供 自転車クエスト

意図は、オーナーが目的地に着いたら、鍵を掛けてプレートを外して持って行きます。
用事を済ましたら、プレートを差し込んで鍵を解除します。
万が一、自転車が盗まれたら、 赤い空間で盗まれたことがばれます。
アイデアは悪くはないですが、離れている間にプレートをなくしてしまったら、犯人と間違えられてしまうかもしれません。

愛知県名古屋市の自転車クエスト様のご協力に御礼申し上げます。

珍しい自転車鑑札の写真をお持ちの方、是非写真を送ってください。 showajitensha@hotmail.co.jp

2013年2月 2日 (土)

山口自転車 マルワイ号 (写真)

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先月、新潟県の「S-さん」から 自転車の写真をいただきました。
能澤(ノザワ)製作所に引き続き、山口自転車のマルワイ号の写真を投稿します。


Ca3g0071

山口自転車はよく知られていて、約半世紀に渡り自転車を製造していました。
1914年に創業し、本社は東京都台東区、工場は埼玉県川口市にありました。
昭和28年、オートバイ製造に広げ、
昭和38年、丸紅に吸収され、ブランド名が「丸紅山口」に変わりました。

S-さんの自転車は純正な山口自転車で、昭和20年代後半ごろのものと推測されます。

一目ですぐ分かりますが、昭和20年代後半~30年代前半の特徴は多いです。
サスペンション付き革製サドル
風切り
セルロイド製の握り
ヘッドバッヂ・シートチューブバッヂ
チェーンケースバッヂ
BEリム

BEタイヤ

ゴム製(ブロック)ペダル
ロッドブレーキハンドル
フレーム(トップチューブ)カバー

泥除け、フラップ、線引き、等など。

ヘッドバッヂに七宝焼が使用されています。.
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20年代後半の自転車と思われます。
お洒落なゴールドで転写マークが 多い。
旧漢字も使われています。
マルワイ号の「號」・自転車の「
Ca3g0076

バッヂ類も多いことは、この自転車が20年代後半と裏つけます。
特に、シートチューブバッヂはこのころ一般的でした。Ca3g0075

ダイナモと鍵です。
ペダルの色とチェーンケースのオイル注入口に注目。Ca3g0073      

トップチューブにお洒落なコールド転写マーク。
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荷台にバッヂが付いていることも20年代後半~30年代初めの特徴。
手引き金線や七宝焼きリア泥除けバッヂ。
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少し見づらいですが、リムも刻印があります。Ca3g0079

山口自転車「ゴールド」

現役山口自転車

愛車を他の昭和自転車愛好家に見てもらいませんか。
写真をshowajitensha@hotmail.co.jpへ送って下さい。

2013年1月 5日 (土)

能澤(ノザワ)製作所 自転車写真

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前回、能澤(ノザワ)製作所の沿革・ヘッドバッヂ・風切りを見ました。
その後、新潟県の古き良き自転車愛好家の「Sさん」がとても良い状態の、ノザワ自転車の写真を送って下さいました。

一目ですぐ分かりますが、昭和30年代の自転車の特徴は多いです。
サスペンション付き革製サドル
風切り
セルロイド製の握り
ヘッドバッヂ・シートチューブバッヂ
チェーンケースバッヂ
BEリム

BEタイヤ

ゴム製(ブロック)ペダル
ロッドブレーキハンドル
フレーム(トップチューブ)カバー

泥除け、フラップ、線引き、等など。

Ca3g0082

ノザワ風切り、泥除け先端に社ロゴ刻印、手引きの2本線、お洒落な転写マーク。
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ノザワ社ロゴ刻印の真鍮製バネカバー付きロッドブレーキハンドル。
これは高級社の特徴の一つ。
社ロゴ刻印のメッキ真鍮製ベル。
良く見るとトップチューブにフレームカバー付き、シートチューブに七宝焼バッヂ、ゴム製ブロックべダルに社ロゴ整形されています。
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ヘッドバッヂ七宝焼、メッキクラウンに浮き上がる文字「TOKYO NOZAWA」。 .
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サスペンション付きサドルにノザワ製作所ロゴのスタンプ。
サドルフレームの大きい輪に注目、珍しいデザイン。
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サドルバッヂ、荷台バッヂ、七宝焼泥除けステーバッヂ。
懐かしいマイナスネジ 。
当時のネジの素材はメーカーによってバラツキがありました。
ノザワ製作所のネジが実に優れていて、錆びにくい。
また、手で引かれた2本線に注目。 Ca3g0084
バッヂ付きチェーンケース。
目玉にマイナスネジ。
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メッキBEリムのノザワ製作所の刻印。Ca3g0086

現在の造りと違いますよね。

新潟県の「Sさん」、愛車の写真を送って下さって、ありがとうございました。

古き良き昭和自転車の愛好家達、愛車を見せていただけませんか。
showajitensha@hotmail.co.jo

2012年3月24日 (土)

なぜ昭和20年代後半~30年代前半の自転車が良いのか第4回

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↓↓↓Click on photo to enlarge↓↓↓)Img_0358_2

前回に引き続き、なぜ昭和20年代後半~30年代前半の自転車が良いのかを見てみましょう。
この連載の (第1回)で取り上げたように、軍需工場は戦後、平和産業に転換されました。
従って、この転換工場は精度が高い工作機械がありましたが、(第2回)に取り上げたように、工業仕様標準化は自転車工業を普及するまで約10年(昭和28年~38年)掛かりました。これと自動化の遅れ (第3回)とを合わせ、自転車作りは主に手で行なわれ、それは工芸品と言っても過言ではありません。 

上記の転換工場の中、自転車製造を行なったのは下記の14社です。

三菱重工津機器
萱場産業岐阜工場
日本金属産業
中西金属
半田金属
不二越鋼材
富士産業太田工場
高砂鉄工
天辻工業
片倉工業
西日本工業
中山太陽堂
大同製鋼
大和紡績

ここで重要なのは、自転車工業に沢山の会社が入ったこと。
工場そのものが転換されたのみならず、それまでに軍用生産していたエンジニアも作業者達も自転車生産中心に変わりました。 
これは戦前、戦時中自転車製造会社、宮田製作、 岡本自転車工業などに大きなプレッシャーを掛けたでしょう。
資本主義のいいところは、競争があればあるほど優れた製品が生み出されます。 

軍需工場から自転車工場に転換した製造会社は、その技術者と職人達で、高い需要と競争の中、実用車の黄金時代を築きました。

2012年2月12日 (日)

なぜ昭和20年代後半~30年代前半の自転車が良いのか(第2回)

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(↓写真の上をクリック)
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前回の投稿では、
昭和7年の商工省令によって、日本自転車業界に生産統制が始まり、
多くの自転車工場は軍需資材用工場に変わり、、
金属の回収指示で(お寺の鐘・橋の欄干・自転車・ミシン・学校前の金次郎像・子供の玩具まで)が回収され軍用品に生まれ変わったことを書きました。

戦後は、連合国軍占領で経済が混乱し、配給制度もまだ続き、資材不足。
軍需用工場が平和産業(自転車など)に変わり、自転車の需給が高く、
作れば売れるが、標準規格もなく品質は不安定。


昭和24年7月1日に、
「工業標準化法(法律第185号)」が制定され、
7月1日から
日本工業規格(JIS=Japan Industrial Standard)が実施されました。
しかし、自転車工業全体的に普及されるまで年月がかかったのが事実。

昭和28年: リム、スポーク、チェーン
昭和30年:チェーンホイール、クランク、ペダル、フレーホイール、スプロケット 
昭和31年:ブレーク、ハンドル、ハブ
昭和32年:フレーム、フォーク
昭和33年:泥除けフラップ、サドル
昭和35年:完成品

注: このJIS規格は自転車の年式を割り出すために一つの手口になります。P1120953 P1120962

昭和20年代後半に入って実用車黄金時代の条件が揃いました。
連合国軍の占領が終わりつつあり、軍需資材用工場が平和産業工場に変わりました。
需給が高く、自転車は現代の自動車ほど価値があり、
輸入枠緩和により資材が入るようになり、
工業規格(JIS)により品質が高まり、
統制経済から自由経済へ。
自転車工業が全体的によくなり始め、競争が激しくなるにつれ、より良いものが生み出されるようになっていきました。

2012年1月28日 (土)

なぜ昭和20年代後半~30年代前半の自転車が良いのか(第1回)

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レストアプロジェクトを探す時、なぜ昭和20年代後半~30年代前半の自転車が良いのでしょうか?
(写真の上をクリック)
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1.非常に少ないがまだ頑張れば手に入る
戦前にもいい自転車があったが、台数が極めて少なく手に入りにくい。
昭和初期の日本は 統制経済への下り坂。
昭和7年、商工省令によって日本自転車業界に生産統制が行わました。
そして、第二次世界大戦で状況がますます厳しくなったのでした。
多くの自転車工場は軍需資材用工場に変わり、自転車が統制生産されました。
戦争が長引けば長引くほど資源がなくなり、銃後として金属の回収指示(お寺の鐘・橋の欄干・自転車・ミシン・学校前の金次郎像・子供の玩具まで)が回収され、軍用品に生まれ変わりました。
戦前は自転車台数は凡そ千万台でしたが、終戦はその半分になってしまったのです。

戦後。
軍需用工場が平和産業(自転車など)に変わり、自転車の需給が高くなりました。
しかし、まだ経済は混乱、配給制度も続いており、資材不足で特にゴム(チューブやタイヤ)は手に入らず、「幽霊自転車」(タイヤが付いていない自転車)が販売されたそうです。
昭和20年代後半に入って統制経済から自由経済へ、輸入枠が緩和され、資材がだんだん入るようになり、自転車工業が全体的によくなり始めていきました。
競争が激しくなるにつれ、よりよいものが生み出されるようになっていったのです。

次回に続く。

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