日本語の記事 (Postings in Japanese)

2025年5月25日 (日)

昭和自転車(モデル類) ⑤紳士車

I'll be back with another English post soon until then stay trued and happy wheels.

この「昭和自転車(モデル類)」連載では、6つの主要なシングルギアロッドブレーキ自転車を順番に取り上げます。
ここまで「①重運搬車」と「②軽運搬車」と「③実用車」と「④婦人車 」を見てきました。

今回は「紳士車及び軽快車 」を見てみたいと思います。
重運搬車
軽運搬車
実用車
婦人車
紳士車及び軽快車
男女兼用車

紳士車・軽快車
紳士車
(別名軽快車)は、軽量化を重視して設計され、車の役目に例えると紳士車は2輪人力のスポーツカーです。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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仕様書を見ると、軽量化(フレーム、ホイールベース、チェーンケース、スタンド、リア荷台、リム、タイヤ、泥除け、スポークなど)に重点が置かれていることがわかります。 
メーカーやモデルによって仕様は異なりますが、共通点もあります。
特徴を10個見てみましょう。
↓写真をクリックすると拡大します↓)
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① 短めなホイールベース
紳士用サイクルは実用車のスリム型で、高級モデルは軽快車です。
典型的なダイヤモンド(二重三角形)自転車フレームのデザイン。
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Highend-gents-model
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Hikari
Kt 

②サドル
 
#800系(ハンモック)と#750系 が一般的に紳士車及び軽快車に使われました。
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上記の2つのモデルを組み合わせた #900系 は、高紳士車及び軽快車に使われた場合もあります。
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ハンドル
紳士車及び軽快車では上がり型と浅上がり型が一般的でした。
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荷台
紳士車及び軽快車の荷台は 実用車と比較して小型(細くて短い)の荷台とステーは2本だけです。
  
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補助フォーク
紳士車及び軽快車では補助フォークが付いていませんでした。
但し、下記の写真のモデルのように例外もありました。
Highend-gents-model

チェーンケース
軽量化を重視された紳士車・軽快車では主にクォーター(1/4)ケース、半ケースかセルロイド製全チェーンケースのいずれかが一般的でしたが、金属製の全チェーンケースもありました。

クォーター(1/4)
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半チェーンケース
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全チェーンケース(透明のセルロイド製)
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全チェーンケース(金属製)
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⑦ドライブトレイン
チェーンホイール(クランクホィール ): 44歯・48歯
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フリーホイール: 20歯
(輸出用のモデルには18歯)
チェーン: 106前後

ゴムブロックかラットトラップのペダル
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スタンド
紳士車及び軽快車では軽量化が重視されたため一本スタンドかチャンネルスタンドが標準でした。

一本スタンド
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チャンネルスタンド
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⑨後輪
スピードを重視して設計された紳士車及び軽快車には、細いリムとタイヤ (1”  1/4) が装備されています。
スポークも他のモデルよりも細かったです(#15)
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ): 26" x  1" 1/4
(輸出用のモデル: 
リム、タイヤ、チューブ 26",27",28")
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スポーク(黒エナメル塗装): #15 
小型バンドブレーキかローエンドモデルにリムブレーキ

小型バンドブレーキ
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リムブレーキ
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⑩前輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ):  26" x 1" 1/4
(輸出用のモデル: リム、タイヤ、チューブ 26",27",28")
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スポーク(黒エナメル塗装): #15 
リムブレーキ

次回は、引き続き 6つの主要なシングル ギア ロッドブレーキモデルを見ていきます。
次のモデルは男女兼用車 です。

2025年4月28日 (月)

昭和自転車(モデル類) ④婦人車

I'll be back with another English post soon until then stay trued and happy wheels.

この「昭和自転車(モデル類)」連載では、6つの主要なシングルギアロッドブレーキ自転車を順番に取り上げます。
ここまで「①重運搬車」と「②軽運搬車」と「③実用車」を見てきました。

今回は「④婦人車」を見てみたいと思います。
重運搬車
軽運搬車
実用車
婦人車
紳士車及び軽快車
男女兼用車

婦人車
女性の体形に合わせて設計された自転車で、車の役目に例えると婦人車は2輪の人力軽自動車です。Img_7579_20250212164001
メーカーやモデルによって仕様は異なりますが、共通点もあります。
特徴を10個見てみましょう。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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①ステップスルー、ゆったりで快適型フレーム
まず、ステップスルー設計に注目して下さい。
今まで見て来たモデル(①重運搬車②軽運搬車③実用車)と違って、トップチューブ(クロスバー)がありません。
当時の日本人女性は洋服を着る場合、スカートかドレスを着て自転車の乗り降りが大幅に楽です。
次はヘッドチューブの長さに注目して下さい。
ヘッドチューブが高くシートチューブが低くて直立したゆったりとした乗車姿勢を実現します。

  婦人車フレーム 運搬車フレーム
実用車フレーム
トップチューブ 無し(ステップスルー) 有り
ヘッドチューブ 長い 短い

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この 2 つの特徴は婦人車の標準でした。
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②サドル
婦人車では
 #750系 圧倒的に多かったですが、 #600系 と#800系 も使用されていました。 Img_0983

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800hammock

ハンドル
婦人車では上がり型(ノースロード型)が一般的でした。

上がり型
Raised

 荷台
中型の荷台とステー2本か4本付き  
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補助フォーク
婦人車では付いていませんでした。
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チェーンケース
婦人車では全チェーンケースが標準でしたが、半チェーンケースはオプションでした。
Img_0997 

⑦ドライブトレイン
チェーンホイール(クランクホィール ): 44歯

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フリーホイール: 20歯
チェーン: 108前後

スタンド
婦人車ではチャンネルスタンドが標準でした。

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⑨後輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ): 26" x  1" 3/8
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スポーク(黒エナメル塗装): #14 
バンドブレーキ
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リムブレーキ
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⑩前輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ):  26" x 1" 3/8

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スポーク (黒エナメル塗装)
#14 
リムブレーキ

1956年当時、婦人車は市場の10%にも満たず、自転車に乗れる女性は60%程度にとどまっていました。しかし、今後の記事で紹介するように、この状況は、日本でママチャリとして知られる自転車の登場で変わりました。今やどこにでもあるママチャリは、日本におけるオランダの「オマフィー Omafiets」←(リンク英語のみ)」自転車です。

婦人車にご興味がある方は日米富士フェザーの連載ご参照下さい。

次回は、引き続き 6つの主要なシングル ギア ロッドブレーキモデルを見ていきます。
次のモデルは紳士車になります。

2025年3月23日 (日)

昭和自転車(モデル類) ③実用車

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この「昭和自転車(モデル類)」連載では6つの主要なシングルギアロッドブレーキ自転車を順番に取り上げます。
ここまで「①重運搬車」と「②軽運搬車」を見てきました。

今回は「③実用車」を見てみたいと思います。
重運搬車
軽運搬車
実用車
婦人車
紳士車及び軽快車
男女兼用車

【実用車】
実用車軽量運搬車よりワンランク下で圧倒的に一般的なモデルでした。
中型で万能のモデルで重量物御を運んだりリヤカー牽引したり、車の役目に例えると実用車は2輪の人力ステーションワゴンです。

(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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メーカーやモデルによって仕様は異なりますが、共通点もあります。
特徴を10個見てみましょう。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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① 中型ホイールベース
中級汎用モデルであるため、フレーム設計は比較的類似しています。
ダイヤモンド型(2重三角)フレーム

典型的なダイヤモンド(二重三角形)自転車フレームのデザイン。

※重運搬車と軽運搬車と違ってトップチューブが直線で曲線がありません。

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②サドル
 
#800系(ハンモック)と#750系 が一般的に実用車に使われました。
800-hammock
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上記の2つのモデルを組み合わせた #900系 は、高級実用車に使われた場合もあります。900_20250211061401

ハンドル
ハンドルのスタイルは、用途によって異なり、荷物を運んだりリアカーを引っ張ったりする場合は一文字(トンビ)型、主に交通手段として使用される場合は上がり型、とその中間の場合はフラット平型になります。

一文字(トンビ)
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上がり
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フラット(平型)
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④中型の荷台とステー2本か4本付き
実用車の荷台は、軽運搬車よりも短く、幅が狭いです。
軽運搬車重運搬車の荷台によくある背もたれがありません。
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補助フォーク
重運搬車や軽運搬車と違って、実用車には通常補助フォークは付いていません。
ただし、主に重い荷物を運ぶ用途の場合には、衝撃を吸収すると同時にフォークの剛性を高めるように補助フォークが追加される場合もありました。  
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チェーンケース
実用自転車では全チェーンケースが一般的ですが、ローエンドモデルでは半チェーンケースもありました。Img_0997 

⑦ドライブトレイン
チェーンホイール(クランクホィール ): 44歯

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フリーホイール: 20歯
チェーン: 108前後

スタンド
チャンネルスタンドは、実用車で最も一般的なスタンドです。
ただし、主に重量物を運ぶために使用される場合には、駐輪中に自転車を積み降ろしする際の安定性を高めるためにボックススタンドが使用されました。

チャネルスタンド
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箱スタンド
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⑨後輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ): 26" x  1" 3/8
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スポーク(黒エナメル塗装): #14 
バンドブレーキ
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リムブレーキ
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⑩前輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ):  26" x 1" 3/8
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スポーク (黒エナメル塗装)
#14 
リムブレーキ

実用車が最も一般的で、「ローエンド」モデルから「ハイエンド」モデルまでありました。
ただし、同年で同メーカーの「ローエンド」モデルと「ハイエンド」モデルの仕様を比較すると、わずかな違いしかありません。
フレームとフォークのチューブとラグの肉厚さは同じでした。

ローエンド:  前輪リムブレーキ、後輪リムブレーキ、半チェーンケース、#750。
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ハイエンド:  前輪リムブレーキ、後輪バンドブレーキ、全チェーンケース、 #800 ハンモックサドル。
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次回は、引き続き 6つの主要なシングル ギア ロッドブレーキモデルを見ていきます。
次のモデルは婦人車になります。

2025年1月23日 (木)

昭和自転車(モデル類) ①重運搬車

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前回の投稿「昭和自転車(モデル類)」で述べたように、6つの主要なシングルギアロッドブレーキ自転車を順番に取り上げます。
重運搬車
軽運搬車
実用車
婦人車
紳士車及び軽快車
男女兼用車


【重運搬車(重量運搬車)】
大型の重量物を運んだりリヤカーを牽引したりするために使用された、車の役目に例えると重運搬車は2輪の人力トラックです。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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メーカーやモデルによって仕様は異なりましたが、共通点もあります。
特徴を10個見てみましょう。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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①超極頑丈なフレームと超極長いホイールベース
フレームのデザインはさまざまですが、重運搬車は重い荷物を運ぶため、安定性を高めるために、ライダーの重心を下げるように設計されているものが多くあります。
そのため、サドルの位置が著しく低くなることがよくあります。
チューブは肉厚で、一部のモデルでは、強度を高めるためにトップチューブ2本、シートチューブ2本、ステー6本が採用されていました。

ダイヤモンド型(2重三角)フレーム
サドルが著しくオフセットされて重心が下がり、安定性が向上していることに注目してください。
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トップチューブ2本とシートチューブ強化設計
重量物を運ぶための強度を高めるように、トップチューブとシートチューブが追加されていることに注目してください。
また、下の写真では、荷台ステーの端にフットペグが付いていて、これにより乗客が荷台に座れるようになっていることにも注目してください。
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X字型フレームとステー6本
強度を高めるために組み込まれた X 字型と 6本 ステーに注目してください。
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②サドル
下記の #750系 が一般的でしたが#1300系 も使われていました。
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③一文字(トンビ)ハンドル
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④特大の荷台とステー4本付き
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補助フォーク 
補助フォークは衝撃を吸収すると同時にフォークの剛性を高めるのに役立ちました。
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チェーンケース 
ハーフチェーンケース
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⑦ドライブトレイン
チェーンホイール(
クランクホィール ): 44歯・48歯
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フリーホイール: 22歯
チェーン: 116L, 118L、120L

キラクスタンド
キラクスタンド(ローラー付きスタンド)は、重運搬車で使用される最も一般的なスタンドでしたが、箱スタンドも使用されていました。
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⑨後輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ): 26" x 2" ・ 26" x 2" 1/2
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スポーク(黒エナメル塗装):#10, #12、#13 
芯  3分5里(7/16")
特大バンドブレーキ 
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⑩前輪
B/E (Beaded Edge) リム, チューブ、タイヤ(耳付きタイヤ):
26" x 1" 3/4
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スポーク (黒エナメル塗装):#12 、 #13 
リムブレーキ (重運搬車専用の大きなブレーキシューに注意してください。)
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左:重運搬車用の ブレーキシュー
右:一般的なブレーキシュー
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次回では、引き続き 6つの主要なシングル ギア ロッドブレーキモデルを見ていきます。
次のモデルは軽運搬車になります。

2024年12月29日 (日)

昭和自転車(モデル類)

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美しく乗り心地も良くシンプルで実用的で頑丈で工芸品そのものは、日本のビンテージ自転車を好きになる理由のほんの一部です。(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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「昭和時代」は64年間に至り(1926年~1989年)長い時代でした。
このブログでは「昭和時代」のうち約14年に焦点を当てています。
次の2つの理由で、主に戦後少し後から自動車社会の転換期まで、いわゆる実用自転車の黄金期(1949年~1963年)までになります。

理由1:
この時期には、1949年に「工業標準化法(法律第185号)」が制定され、日本工業規格(JIS=Japan Industrial Standard)の法的根拠となった時期と一致しています。
しかし、自転車業界の場合、
毎年特定の自転車部品を対象にJISが少しずつ段階的に施行され、(例1953年にリム、スポーク、チェーンなど)、1962年を最後に完成車の出荷対象になりました。
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理由2:
この時期は、戦後の実用自転車の盛衰の時期とも重なります。
つまり、戦後に実用自転車から自動車社会へ、自転車が自動車に取って代わられ、実用自転車が働く必需品というよりはレジャー用品として衰退していくまでの時期です。
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当時の自転車製造会社のカタログには約 20 種類のモデルが掲載されていますが、ここでは分かりやすくするために、6つに絞って以降の記事で、それぞれの特徴、仕様、およびそれらの違いについて詳しく見ていきます。

1.重運搬車 (重量運搬車)
大型の重量物を運んだりリヤカーを牽引したりするために使用された、車役目に例えると重運搬車は2輪の人力トラックです。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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2.軽運搬車 (軽量運搬車)
重運搬車よりワンランク下の自転車です。
重運搬車が人力トラックだとすると、軽運搬車は2輪の人力軽トラに例えられます。
これらも大型の重量物を運んだりリヤカーを牽引したりするために使われましたが、この連載で紹介するように、重運搬車の小型版でした。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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3.実用車 
読んで字のごとく中型で万能な自転車、車に例えると2輪の人力ステーションワゴンです。
荷物を積むこともでき、リヤカーを牽引することもできました。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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4.婦人車
当時の日本人女性がスカートやワンピースでも乗り降りしやすくできるようにデザインされました。
車に例えると2輪人力の軽自動車です。

(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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5.紳士車及び軽快車
シングルスピードの自転車で車に例えると2輪人力のスポーツカーです。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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6.男女兼用車
男性と女性の両方が使用できるように設計された自転車で車に例えると2輪人力の自家用車の自転車でした。
(↓写真をクリックすると拡大します↓)
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注: 子供用自転車を購入できる世帯は少なかったため、この車種は意図的に省略されています。
当時の子供は大人サイズの自転車でも乗れるようになりました。
サドルに座り足がペダルに届かない状態を「三角乗り」で克服しました。
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次回の投稿から、6つの主要なシングルスピード自転車モデルを重運搬車から順に取り上げます。

2024年12月 1日 (日)

102歳現役の自転車屋さん

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前回の投稿では、95歳にして東京狛江市で自転車店「長寿自転車商会」を営み、来年70周年記念を迎える自転車整備士の谷田部氏について紹介しました。

今回の投稿では、102歳にして東京墨田区で石井自転車店を営んでいる店主、石井氏について取り上げます。
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今年4月に石井さんにお会い出来て光栄です。
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【9月17日新聞記事 夕刊読売新聞・野口恵里花】
写真をクリックして拡大します。
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長寿自転車店の谷田部氏も、石井自転車店の石井氏も、天職に巡り合い持続させていることが健康で長く楽しく生きる秘訣かもしれません。
好きなことが仕事であれば「定年」なんてないのでしょう。

2024年11月 3日 (日)

長寿自転車商会 (第三)

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長寿自転車商会 (第二)では、
店主の谷田部氏が自転車部品問屋に7年間勤めた後、1955年に26歳で独立し自転車部品(卸)を創立しました。 1965年、36歳までには、自転車整備士1級と自動車・オートバイ整備士の免許を取得し、自転車、原付、オートバイ、軽自動車の販売と修理を行っていました。

今回は取材した内容を編集してまとめました。

約70年の長いキャリアを振り返って、何が変わりましたか?
谷田部氏
『多くのことが変わりましたよ。日本も自転車業界も例外ではなく時代流れで大きく変わりました。』

1. 自転車の用途
『まず、前述したように、自転車ビジネスに携わるようになったのは1948年のことで、卸売業者で働いていました。
第二次世界大戦が終わって3年後のことです。
当時の日本はまだアメリカの占領下にあり、多くのものが配給制でした。
自転車は基本的に移動用と仕事用だったので、主に実用自転車運搬用自転車が主流でした。』

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『働く自転車の荷台が大きかった。
荷台に大きすぎる荷物を運ぶ用に自転車のシートピラーに連結器が取り付けられ、リアカーを接続しました。』P1120444_20241019131901
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1950年から1958年まで、自転車を登録して鑑札(ナンバープレート)が取り付けられた。
日本は急速な経済成長とともに繁栄し、繁栄とともにレジャーやレクリエーションへの傾向が生まれた。
実用自転車の衰退は1960年(昭和35年)頃から始まり、1963年(昭和38年)までに他の車種が実用自転車を上回った。
(グラフをクリックすると拡大します)
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日本は自動車社会へと変貌しつつあり、多くの家庭が自家用車を所有するようになり、自転車の用途も拡大した。
一家に1台以上の自転車があり、主婦は食料品の買い物やその他の用事のために女性用自転車に乗り、学生は学校に自転車で通学し、子供たちも自分の自転車を持つようになった。
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2. 道路整備
昔は道路状況や排水が良くなかった。
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現代では舗装道路が当たり前だが、昔はそうではなかった。
そのため、自転車は毎日の使用中に、道路の凹凸、水たまり、泥、砂利、砂などで酷使されていた。
当時はペットボトルはなく、割れた瓶のガラス破片、釘、その他の金属破片でパンクが多かった。

3. 耐久性
先ほども述べたように、自転車は道路整備の悪さや働くためで酷使されていた。
雨の日に乗ることも多く、屋外に駐輪し風雨にさらされていた。
そのため、自転車の耐久性が高い作りで、メンテを行えば一生使えるものだった。
しかし、すべてスチール製で、機械加工も今日の基準ほど精密ではなかったため、時間が経つにつれて雨がベアリング(ヘッド部、ボトムブラケット、車輪ハブ)に染み込んでしまう。
冬場には自転車を全面的にオーバーホールするのが一般的であった。
これは自転車店にとってもう一つの重要な収入源だった。

4. 手ごろな価格
自転車業界に参入した1948 年当時、家族用自転車は個人の交通手段として主流だった。
自転車は 2 か月分の給料に相当する値段がしたため、言うまでもなく貴重なものだった。
子供用自転車は珍しく、裕福な家庭だけが所有していた。
子供は足が短くて実用車のペダルに届かないため、「三角乗り」で大人用自転車に乗れるようになった。
(下の写真で、子供の左足がフレームに通されている様子に注目してください。)
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今は安価な輸入自転車(ママチャリ)を購入することも可能だ。

5. 部品と工賃
かつて、部品は高価で工賃は安かった。
修理や部品交換は自転車店の収入の重要な部分を占めていた。
今ではその逆になり、部品は安いが工賃は高い。
工賃が高いため、主要な部品の交換を行うよりも、ローエンド新車のママチャリを購入した方が安い場合が少なくない。

谷田部氏
『私は幸運にも、最初は卸売察で働き、その後、自転車部品卸売店を立ち上げて自転車業界に参入しました。
この経験により、自転車と自転車ビジネスについて貴重な洞察を得ることができました。
自転車部品卸売業にとどまらず、自転車店を経営することを選んだことはよかった。
振り返ってみると、自転車整備士になった時期が良かったと思います。時代は変わり、ほとんどのことと同様に、個人商店は大規模なチェーン店に飲み込まれました。
60歳になって退職すると、何もすることがなくなる人が少なくはない。
私は35年以上前に60歳になりましたが、今でも毎日働いています。仕事は良いことだ。
手、頭、心に良いものだ。なぜなら、社会に必要なサービスを毎日提供するためにそれらを使わなければならないから。
修理によって得られる達成感と満足感、そして愛する自転車が走り続けてくれることに対する人々の感謝は計り知れません。』

 

2024年10月 6日 (日)

長寿自転車商会 (第二)

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長寿自転車商会 (第一)では、
店主の谷田部氏の自転車業界入りは1948年で、19歳から1955年26歳までの7年間、自転車部品の問屋さん(卸会社)で働いたと伺いました。

前回のお話で、1955年、26歳の時に自転車部品の問屋さん(卸会社)から独立して自分の自転車部品の卸会社を始めたのですね。
はい、そうです。

会社の名前は?
「長寿商會」

どうして「長寿」ですか。
1955年に、日本そば店「長寿」を営んでいた妻の実家で店を開きました。
この写真では、左側の看板の上部に「自転車・リヤカー部分品卸」と小さく書かれており、その下には大きな文字で「長寿商會」と書かれています。1958年にそば店は閉店し、自転車部品の卸に修理も行うようになり、後に自転車の販売も始めました。
写真の大きな看板には「長寿自轉車店 自轉車修理・販売」と書かれています。
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ということは最初に自転車部品の問屋(卸会社)を立ち上げてその後自転車修理屋ですか。
そうです。その後自転車、原付、オートバイ、軽自動車など修理と販売。

昭和35年(1960年)に31歳で第2種技能証 (38101号)取得
昭和36年(1961年)に32歳で第1種技能証  (953号)取得
昭和40年(1965年)に36歳で問屋(卸)の仕事をやめ、自動車整備技能二輪整備士 (6061号)取得

自転車のみならず原付・オートバイ・自動車も修理、販売をしていたということですね。
結構、幅が広いですね。

そうですね。
今はもうないですが、3輪軽自動車も。
これは店でよく見たら4台もあります。
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この写真は店の前で、スクーター数台と私です。
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当時の自転車屋さんは車輪がついていれば、つまり自転車、原付、オートバイ、3輪軽自動車、自動車など対応する店が少なくはありませんでした。

取り扱った主なブランドは?
ミドリ水谷輪業、ナショナル、ブリッジストンノザワ
昭和40年(1965年)頃までは、自転車はメーカーからキットの木箱詰めされた状態で店に出荷され、ホイールの組み付けも含めて一から完成に組み立てていました。
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昭和45年(1970年)頃から、30%組み立てられた状態で出荷。 現在、自転車は基本的に中国からほぼ完成車の状態で輸入されている。

自転車が最も売られた時期はいつ?
昭和50年~平成20年(1975年 - 2000年)毎年に約300~500台が売れました。

つづく

 

2024年9月22日 (日)

Long Life Bicycle Shop Interview (Part 2)

次回、この記事の日本語版を投稿します。

In Long Life Bicycle Shop (Part 1) interview, we heard how the owner, Mr. Yatabe, got his initial start in the bicycle business by working at a bicycle parts wholesaler for seven years from the age of 19 in 1948 until the age of 26 in 1955.  

When we left off last time, you mentioned, at the age of 26 in 1955 you left the bicycle part wholesaler and started your own bicycle parts wholesale business; is that correct?
That's right.  

And the name of your shop?
"Long Life"

Why "Long Life" ?
I first set up my shop in 1955 at my wife's parents place which ran a Japanese soba (buckwheat noodles) restaurant by the same name.  In this photo you can see the fine print at the top of the sign on the left, in Japanese reads, "Bicycle and Bicycle Trailer Parts Wholesales (Dealer)" and below it in large characters "Long Life".  In 1958, the noodle shop closed and, in addition to bicycle parts wholesales, I expanded the business to include repairs, and later on bicycle retail as well.  The large sign in the photo reads "Long Life Bicycle Shop Bicycle Repairs and Retail  ".

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So, first you were a parts wholesaler, then a bicycle mechanic?
Yes.  And then repair and retail of bicycles, scooters, motorcycles and some small engine cars.
In 1960, at the age of 31, I certified as a level 2 bicycle mechanic.
In 1961, at the age of 32, I certified as a level 1 bicycle mechanic.  
In 1965, at the age of 36, I stopped the bicycle parts wholesale business and got my automobile and motorcycle repairman license.

So, you worked on bicycles, scooters, motorcycles and automobiles?
Yes.  And three wheeled mini-trucks.  If you look closely, you can see four of them in this photo.
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And, here you can see me and lots of scooters in front of my shop.
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Back then bicycle shops handled basically anything with wheels; bicycles, mopeds, scooters, automobiles, three-wheeled mini-trucks, and automobiles.

What were the main bicycle brands you dealt with?
Midori, Mizutani, National, Bridgestone and Nozawa.
Up until around 1965, bicycles would be shipped from the manufacturer to shops as crated kits and completely assembled, including lacing of the wheels, by the shop.  
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From around the early 1970s, they started to come 30% assembled.  Nowadays, bicycles basically come nearly fully assembled from China. 

What would you say was the best period for bicycle sales?
Around 1975 - 2000. I would sell 300 - 500 bicycles a year.

Interview to be continued in the next post.

2024年9月 9日 (月)

長寿自転車商会(第一)

I'll be back with another English post soon until then stay trued and happy wheels.

以前、「長寿自転車商会とサイゴンカレー」や「長寿自転車商会(取材準備中)」でも触れたように、
長寿自転車商会店主の谷田部氏に、自転車業界での長年の経験についてお話を伺いました。
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お時間を割いて取材に応じてくださりありがとうございます。
いえ、こちらこそ.
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先ず、いつどこで生まれたか教えていただけますか。
昭和4年2月5日、茨木市下館市です。

ということは95歳ですか。
はい。

自転車に乗れるようになったのは何歳でしたか。
小学校5年生です。

その自転車は覚えていますか。
メーカーは覚えていませんが兄の通学用の実用車でした。
大人用なので足がペダルに届かず、三角乗りで乗りました。Img_0487
Photo: Bicycle Culture Center 自転車文化センター

お兄さんの通学用自転車とおしゃいました。ご兄弟は何人ですか。
農家の8人兄弟の4男として昭和4年2月に生を受けました。

自転車業界にどのように入るようになりましたか。
戦時中兄3人が兵隊に。
5歳年上の2男は20年の5月にフィリピンで戦死、2歳年上の3男は内地にいたので速帰って来ましたが、
長男が支那から帰って来なくて音信不通でしたので戦死したと思い、家を4男の私が継ぐことになりました。2年くらいしたら8歳年上の長男がひょっこり帰って来ました。終戦で引き上げる時満州国にてソ連兵につかまりソ連に抑留され食料も悪く、重労働で同僚が死んでいく中栄養失調になって怯えされたということです。
長男が帰って来たので、手に職をつけたいと思い、恵比寿で自転車屋をしている方と会え、恵比寿の自転車の問屋さん(卸会社)を紹介され就職しました。
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問屋さんに就職したのは何年でしたか。
昭和23年、19歳でした。 

その卸会社ではどのようなお仕事でしたか。
同年齢の2人の先輩がいました。戦後に問屋さんでも部品が不足だったので、自分で闇市ででも部品を探したり販売先を開拓したりして毎日自転車で60~70km走りました。


毎日60~70km?

オール鉄製実用車で重くて当時の道路整備が悪くて、おまけに部品も運んでいたでしょう。
相当な大変でしょう。

ええ、悪天気ででも。若かったな。リヤカーの注文を受けるとリヤカーの車体を自転車の荷台に縛り付けて、自転車に乗って配達する事はしました。荷台に重い物を積むとハンドルが上がる様でも自転車での配達でした。
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Photo: Bicycle Culture Center 自転車文化センター

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Photo: Bicycle Culture Center 自転車文化センター

当時、まだ配給制度中で部品の仕入れは大変、どこからですか。
戦後当分の間、お米と同じようにゴム製品も統制品で配給制度でした。
戦後資源が少なく鉄製品も少なく価格が安定されずその時の相場で取引きされました。
特にゴム製品、タイヤやチューブが統制されていましたので闇市場でとんでもない値段で売買されました。
昭和20年、公定1台分108円の時、闇で2,500円、昭和23,24年には4000~5000円。
第一ゴムのリヤカー用のタイヤは10,700円で取引されていました。

卸会社で何年くらい働きましたか?
昭和23年19歳で入社、昭和50年26歳まで。  

続く

 

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